文民統制 civilian control 2004 8 5
世界各国で、政治不信が高まっていると聞きます。
そして、政治不信をなくすために、多くの人が努力しているでしょう。
この場合の「政治不信」とは、有権者の政治不信でしょう。
しかし、もうひとつの「政治不信」もあります。
それは、軍の政治不信です。
軍の政治家に対する政治不信のことです。
ある意味で、この政治不信は、有権者の政治不信よりも危険です。
こうした政治不信が高まると、軍は、自分の意志を持つ可能性があります。
これは、歴史を振り返れば、よくあることです。
軍人は、戦うことだけしか才能はないと考えるのは誤りです。
知性が高く、頭脳明晰な人が、軍人となっている場合が多いのです。
ですから、こういう人たちが、軍事だけでなく、
政治や経済を分析して、いろいろな考えを持つことは、十分あり得るのです。
戦前の日本軍の評判は、軍部が暴走したなど、評価が非常に悪いですが、
その日本の軍部も、おとなしい時期があったのです。
その時期とは、明治維新の大政治家が生きていた時期です。
こうした時期は、日本の軍部は、猫のように、おとなしかったのです。
しかし、明治維新の大政治家が、次々と、寿命が尽きて、死んでいった時に、
つまり、政治力が低下していった時に、日本の軍部の力は増大していったのです。
だから、現代においては、文民統制の制度を作ったのでしょうが、
いくら優れた制度を作っても、軍が暴走する時は、暴走します。
それは、軍の政治家に対する政治不信が高くなった時です。
軍は、最終的には、国民を守ることはあっても、政府を守ることはありません。
国民を取るか、政府を取るか、どちらかを選べと言われたら、
軍は、国民を選びます。
だからこそ、政治家は、常に、高い識見と優れた人格を持っていることが必要です。
そもそも、文民統制とは、単に制度を作ることではなく、
政治家の優れた識見と人格で、軍をコントロールすることです。
国民や投資家は、お金で、コントロールできると考えているでしょうが、
軍人は、お金では、コントロールできません。
軍人は、お金が欲しくて、軍人になっているのではないのです。
とにかく、忘れないでほしいのは、こういうことです。
軍事大国においては、知性が高く、頭脳明晰な人が、軍人となっている場合が多いのです。
こうした軍人は、普通の政治家よりも、はるかに頭がいいのです。